5月11日(木曜日)

ま、色々あるけど無事終了。“週末のわずかな彼との時を繋ぎ合わせて君は生きている”と歌ったのは浜田省吾さん。女性の気持ちだし、そんな色っぽい話ではないが、週末でどう気分転換するかが、ひとつのポイントです。写真は上組外側にて。

帰宅してひよっことやすらぎの郷を視聴。やすらぎの郷に毒蝮三太夫さんが、入居者の一人として出演した。ついに出たかと言う感じです。このノリで、色んな人をワンシーンゲストに出してもらいたいな。いいぞぉ〜

Twitterのタイムラインに、神奈中の中古バスが60万円で売られているとの情報。排ガス対策をどの程度しているかとか、諸々あるので、この相場がどうか分からない。それでも思ったより安いな。案外、高いものって印象だからね。あっ、バスの事を書くけど、横浜のK保険事務所さんの受け売りです。最初に断っておきますからね。

LINEでK保険事務所さんに、このバス絡みで質問してみた。そこからバスの話に花が咲きと言うか、巻き込んでしまった。すみません。このやり取りの中で、私の中のバスの思い出を話し、質問しました。いやはや楽しかった。

私の家の近くに、子供の頃から通っている路線がある。一番印象深かった車体があるのだが、これがちょいとレアらしい。以前にもK保険事務所さんに聞いた事があるのだが、京成バスは京成自動車工業と言う関連会社を持っていて、ここで自社のバスを架装していた。(現在はバスの架装はしておらず、レントゲン車や、中継車を手がけている)実はこの京成自動車工業で架装された車体は、西日本車体(西鉄の関連会社)のライセンス生産だったのです。言うならば、関東に九州のバスと同じものが走っていたわけです。

僕が印象に残っている車体と言うのも、このライセンス生産で、通称かまぼこと呼ばれているものでした。昭和52年くらいに、大きなダイヤ改正と路線系統の変更があって、その時に一番乗ったのが、かまぼこだったのですよ。

そしてそれ以前のバスの思い出です。通称、団地周りと言うバスが我が家の近くを走っていました。実はこれ、昭和51年か52年まで、車掌さんが乗っている、ツーマンバスだったのです、ひよっこの時代じゃあるまいし、あの時ですら、車掌さんが乗っているバスは珍しかったです。市川市の路線で、私が知っているのは2系統だけでした。何で車掌さんが乗っていたか?組合が強かったのでしょうね。京成って会社はそういう印象でした。

その団地周りのツーマンでも、通称かまぼこと呼ばれる、ワンマン用の車体は使われていました。ただね、少数ながら、まだツーマン用の車体が残っていたのですよ。前に乗降口はなく、真ん中に中折れ戸があって、これを車掌さんが手動で開け閉めするヤツです。記憶をたどって行くと、昭和50年か51年に乗ったのが最後かな?今思うと、貴重な体験です。

そして古いバスと言えば、ボンネットバスです。ただ流石に僕ら世代だと、現役のボンネットバスは難しいですね。むしろ保存されているものを大人になってから乗ったと言う感じでしょうか?でも古い記憶にあるんです。

多分、昭和44年頃だと思います。愚弟が生まれる前なので、ほぼこの辺で確定でしょう。お袋の実家のある佐倉市に、クルマで向かう時の事です。佐倉市内にある京成バスの車庫の前を通っていたんです。ずら〜っとバスが並んでいる中で、少数ながらボンネットバスがありました。ラジエターグリルの部分が似ていたのでしょう。ロンドンの2階建てバスみたいで、2階建てバスだとしゃべっていたのを何故か覚えています。バスそのものも、絵として脳裏に焼き付いているんですよ。多分僕の中にある、一番古い記憶だと思います。2歳でした。

ここまで書いて思った事。他との比較があまりないから何とも言えませんが、バスの体験は、年齢のわりに古い車体を知っていると思う。それとは真逆に、学校関係の事は異様に新しい。新設校に通い続けたと言う事もあるけどね。そして給食。私の年齢で、米飯給食があって、クジラの竜田揚げを食べていないと言うのは珍しいと思う。竜田揚げはメカジキでした。

ど〜でもいい事だけど、学校もバスも誰もが経験する日常です。僕はバスオタクにはほど遠いけど、こういう何でもない日常の話は好きなのだ。