毎日これをチェックしているご近所の方々ご苦労様です。(一部の人に向けての嫌味です。)本日も失業者の一日が終わった。朝から買物に行って、作り置き出来るものはやっておいた。親戚のおばさんのような人に留守の間は任せたので問題はない。
そして夕方から、母校の小学校の体育館で下水道工事に関する説明会に参加してきた。別に問題はない。八軒長屋の住民の方々とも話せたし、問題はないと思います。都市ガス引っ張るみたいに、工事費を折半とかじゃないしね。各戸の工事負担金だけだね。
それにしても母校の小学校に入るのは卒業以来だ。体育館の場所が変わっててびっくり。いや、実は知っていたけど忘れていたのだ。体育館の正面には校歌が書いてある。彫刻刀で彫ったものだ。昭和57年度卒業生と書いてある。愚弟の学年だな。思い出した。
同じようなものを俺たちも作らされた。鶴の恩返しの絵だったな。両面あったな。どの場面がいいか、絵を描いて提出させられた。書きながらくだらない記憶が蘇ってきた。実際に彫った絵は鶴が飛び立つところと、機織りのシーンだ。でも俺が提出した絵は違う。おじいさんがその機織りを覗いているシーンだ。驚いた顔のお爺さんの絵です。当然不採用。
それで肝心の彫刻なんだけど俺は一番端っこでただ彫るだけの部分です。劣等生にはちょうど良い。そしてこっそりと?フクダと名前を彫っておきました。どんどん蘇る無駄な記憶だ。あっ、最後に思い出した。彫刻刀なんて持っているのに、このどうでもいい卒業生作品のために、学校を通してまた買わされたんだ。これも利権だな。
あの校歌の彫物はともかく、鶴の恩返しの彫物っていくら小学校でも邪魔だろうな。まだあるのかな?あるだろうな。あの時の事なんてほとんど覚えていないのに、建て替わった体育館に入って蘇る記憶ってなんだ?それも全部思い出さなくていいことだ。