5月9日(火曜日)

全然並ばなかった日。ま、こう言う日もあるさ。そして相変わらず気持ちは下降線をたどっています。久しぶりに週間ポストを購入。いつもはdマガジンで済ませているが、今回はちゃんとコンビニで雑誌そのものを買いました。これは年末のオークションにでも出すかな。

リアルにポストを買うことのメリットですが、袋とじが見られることか?あと、今回は100cm越えのAV嬢のグラビアがあった。この辺の物はdマガジンでは見られません。

Twitterのタイムラインに、志津小学校青菅分校の記事が上がって来た。北のカナリアに出てくるような、分校と言えば良いだろうか?木造のあの校舎です。僕ら世代だと、田舎の廃校ってイメージかな。リアルタイムで経験する校舎ではなかったな。昭和30年に建築されて、昭和52年3月に閉校されたらしい。

そんな校舎が、地域の人たちによって、それなりの状態で保存されていたのだ。それを正式に、佐倉市と日大生産工学部が乗り出して、保存しようという動きが出たようです。それが記事の内容だ。こう言っちゃなんだが、それだけの記事です。

だけどね、俺から目線で言うと、色々と摩訶不思議です。千葉県市川市でずっと過ごして来て、人口が急激に増えた地域だから、ずっと新設校だった。仮に新設校でない、隣の学校に進んでも、校舎は鉄筋ですよ。それが同じ県内で、それほど遠くないところに、こんな分校の校舎があったとは驚きです。昭和52年3月と言えば、小3が終わる時です。自分の環境を考えると、随分とギャップがある。充分、東京からの通勤圏内ですからね。今思うと、こんな校舎に通いたかったです。

具体的な場所を言うと、志津駅からもユーカリが丘駅からも4kmくらいの場所です。ただこの分校が、機能していた時代にユーカリが丘駅はありませんでした1982年に開業して、新交通システムも同時に開業です。分校が閉校となってから5年後のことです。そう言うことも含めて、やっぱり奇跡みたいに残っていたんだな。無駄に嬉しい。

お袋の実家は佐倉市内です。旧市街地近い場所です。臼井の人は、その旧市街地にある中学校に通っていたそうですが、志津はまた別の中学だったと言います。なので、この分校に通った同級生はいなかったとか…保存方法が決まって、公開されてから言ってみるかな。ルートを選べば、スーパーカブで行くのもありだな。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする