8月1日(日曜日)お参りと新聞記事など

朝起きて、何とか引きこもらずに外に出る事が出来た。床屋さんへ行く。8月いっぱいで閉めるっていうから、俺のサイクルからしたらあと一回だな。引退して、建物そのものが無くなるみたいだから、写真の押し売りをしてきた。撮影してキタムラに出してお参り。帰りにまたキタムラに寄って仕上がったプリントを取ってきて、置いてきました。

何でもない写真だけど、建物が無くなってからじゃ撮影出来ない。50年以上続いた店だからね。俺自身が納得する為に押し売りしてきたのだね。別に金は取ってませんけど。念のためね。ここには悪意のある上に、頭の弱い読者がいるので念のため。

毎月の参りはこのような出で立ちでした。当然のオリンピックネタですね。次にお参りに来る時は、床屋さんが店を閉める頃だな。そして駅までの往復は徒歩でした。この灼熱の中、遠回りしたから6キロくらいは歩いたか。最近の俺にしては上出来です。

昨日の日記でちょっと書いた、福岡県中間市の保育園児死亡事故。やっぱり基本的な事実は一報通りのようです。園長が運転する送迎バスで保育園に到着→一人だけ園児を車内に置き去り→夕方まで気が付かず救急車で搬送→病院で死亡確認→司法解剖の結果、車内で13:00頃に死亡していたと見られる事が判明。

分かりにくいところは何も無いけど、あまりにもお粗末としか言いようが無い。この記事は今日の毎日新聞東京版社会面です。これだけしか取り上げていない。

こっちは同じく毎日新聞西部版社会面です。流石に扱いが大きくて、保育園で開かれた保護者会の様子も書かれている。福岡・中間送迎バス死亡 園児の点呼せず 園長、降車と誤信と検索すると出てくると思います。

皆が皆、信じられないと言うでしょう。確かにその通りだけど、この記事に書かれているお粗末さが全てなんでしょう。私自身、毎日の生活の中で、あらゆる場面でそれを感じています。どこが?とか、何が?ではなく全てです。その都度ここは自分で…とか、ケツを持って行かれないような行動とか言動をしなきゃと思うわけです。完璧には出来ないけどね。

園児が一人死んでも、こんなやり取りか?って感じですね。この記事によると、保護者会紛糾と書いているけど、元がその程度だからそうなってしまう。もちろん、そんなの納得出来ない。でも俺みたいな外野からみると、あ〜この保育園はこの調子なのね…と納得はしないけど、見えてくる物がある。交通事故で死ぬ可能性だってあるけど、保育園に預けてその送迎バスの中に置き去りじゃぁ〜どうしていいのだろうか?これからこの国で生活して行く上で、自分がこの園児と同じような目に遭う可能性があるって事だよな。私はそう思っています。