相変わらず暑い日は続く。そして、日々単調。これと行った変化はない。くだらない並びに一喜一憂しているだけの日々です。
高2の英語の授業でのこと。It is no business of maine. という文章を教えてもらった。別に難しいものではないと思う、直訳すれば、“それは私の仕事ではありません”だ。それ以上のことはないでしょう。
でもこの文章、当時からずっと覚えているし印象深い。この時の英語の先生が、こんな風に使われていたと説明してくれたからだ。こんな風とはどんな風か?ある日本映画をアメリカで観たらしいのだが、その時の字幕で使われていたという。その日本映画とは、木枯し紋次郎です。
そう、「あっしには関わりのないことでござんす」の字幕が、“it is no business of mine.”だったのだ。この英語のの先生でなくとも、なるほどと思う。高2の俺ですら、このエピソードだけで、強く印象に残っていたのだ。
さて、時は流れて、インターネットの時代になり、損害保険の世界では、外資系が大腕を降ってCMの大人買いをする時代が来た。それも随分時間が経ったけどね。そんな時代が来て、この“it is no business of mine.”を実感?するようになった。その手の業界のエピソードを聞く度に、よくも悪くもなるほどである。“it is no business of mine.”は英語圏、いや、アメリカの気質のひとつなのかな?とアメリカに行ったことがない俺は思うのである。
いつものように、伊集院光の深夜の馬鹿力の録音を聞きながら、走っていた。するとUberEATSの話をしている。ここに加盟したデリバリーをしてくれるお店に注文→これまたここと契約した一般人が、お店に商品を取りに行く→それを注文した客に届ける。ってサービスらしい。詳しくは検索してください。
出前をする登録したひとの中に、若手芸人もいるって話から入った。商品を受け取ってマニュアル通りに運べばいいだけの話だが、そこはアメリカから来たシステムだ。梱包が悪かったりして、明らかに汁物がこぼれそうでも、“it is no business of mine.”らしいのだ。で、そのまま届けてなにか言われても、“it is no business of mine.”らしいのだ。
実際にこれが、どこまでまかり通っているかは、知らない。ただラジオで、こんな内容のことを話していたので、あながちデマや嘘ではないのでしょう。伊集院光さん本人も、AIの方がマシか?みたいなことを言っていた。同感です。
UberEATSがどうのこうのでなく、“it is no business of mine.”がどこまで根付くか?ってのは興味深い。すぐにそこまで行き着かないと思う。が俺の感覚だ。それでいて、ある一定の条件をクリアした場所ならば、これが徹底して、根付くのではないか?とも思っている。
読解力がまったくないパー相手に、イライラすることしばしである。そいつらからしたら、瞬時に自分の仕事であるか否かを判断して、“it is no business of mine.”ってカードを出せばよろしい。このカードを切ってくるのが、コンビニあたりで常識になったら…
高校の時に、この文章を覚えた俺。“it is no business of mine.”は素晴らしい字幕翻訳ではなく、アメリカさんの気質であり、今それに支配されようとしているのか?とさえ思うようになった。五十一の夏です。